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大阪地方裁判所 昭和60年(行ウ)42号 判決

大阪府堺市三宝町五丁二七八番地

原告

杉本通夫

右訴訟代理人弁護士

野村清美

芳邨一弘

同市南瓦町二番二〇号

被告

堺税務署長

内田喜市

右訴訟代理人弁護士

兵頭厚子

右指定代理人

岡本誠二

足立孝和

田中彰

高田安三

岸川信義

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告に対し、昭和五八年八月一八日付でなした昭和五七年分贈与税決定処分及び重加算税の賦課決定処分はこれを取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和三八年八月五日、杉本ふく(以下「ふく」という。)との間で養子縁組をなし、その養子となったものであるが、被告は、昭和五八年八月一八日、原告が、ふくから、昭和五七年四月一九日に別紙物件目録1ないし7記載の土地建物(以下「本件課税物件」という。)の贈与を受けたとして、その課税価格を二億六五二万一三一〇円、贈与税額を一億四六二四万五七〇〇円とする昭和五七年分贈与税決定処分及び重加算税の額を五一一八万五七〇〇円とする重加算税賦課決定処分(以下「本件各処分」という。)をした。

2  そこで、原告は、昭和五八年九月一〇日、被告に対して異議申立をしたところ、被告は、同年一二月八日、異議棄却の決定をしたので、原告は、さらに国税不服審判所長に対し審査請求をしたところ、同所長は、昭和六〇年三月二五日、審査請求を棄却する旨の裁決をなし、右裁決は、同年四月一一日、原告に送達された。

3  しかし、本件各処分は、次の理由によりいずれも違法である。

(一) 原告が、ふくから、本件課税物件の贈与を受けたのは、昭和三八年五月一五日であり、その旨の確定日付ある贈与証書(以下「本件贈与証書」という。)が作成されている。

(二) 本件贈与証書は有効なものであり、原告が、税額等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい又は仮装した事実はない。

4  よって、原告は、被告に対し、本件各処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の事実は争う。

三  被告の主張

1  原告の昭和五七年分の贈与税及び重加算税の額

(一) 贈与により取得した価格の明細

〈省略〉

なお、右の算定根拠は、次のとおりである。

(1) 贈与により取得した財産の評価について

贈与税の課税価額は、受贈者が贈与によって取得した財産の価額である。相続税法は、財産の評価について、特定の数種の財産について評価方法を定めているが(同法二三条ないし二六条の三)、右以外の財産については「当該財産の取得の時における時価」と定めている。時価とは、本件においては贈与の時における客観的交換価値をいうが、その具体的算定根拠については、「相続税財産評価に関する基本通達(昭和三九年四月二五日付直資五六・直審(資)一七)」(以下「評価通達」という。)が、各種財産ごとに、その評価方法を定めている。

(2) 土地(宅地)の評価方法について

(イ) 評価通達において、市街地的形態を形成する地域にある宅地については、路線価方式によるものとされ、宅地の面する路線に付された路線価を基として評価する。原告が、昭和五七年四月一九日、ふくから受贈した本件課税物件のうちの土地(宅地)は、いずれも右市街地的形態を形成する宅地に当り、その路線価は、別紙路線価図記載のとおりである。

(ロ) 前記評価方式による本件課税物件の価額の算定方法及び価額は、別紙「贈与価額の計算」のとおりである。

(3) 建物(居宅)の評価について

評価通達においいて、建物については、固定資産税評価額に倍率(一・〇倍)を乗じて評価するものとされている(評価通達八八、別表一工作権割合一欄表)。原告が贈与を受けた別紙物件目録7記載の建物の贈与の時である昭和五七年における固定資産税評価額は、一三一万三一三九円である。

(4) 以上の結果、贈与税の課税価格は、二億九一七万二五五九円となる。

(二) 贈与税額及び加算税額の計算明細

〈省略〉

2  贈与税決定処分の適法性

(一) 贈与税における贈与の時期は、贈与による財産の取得の時(国税通則法一五条)である。そして、財産を「取得した」とは、現実に取得したこと、すなわち、財産権が法形式上帰属しただけでなく、広く経済的利益が事実上帰属したことをいうのであるから、財産を取得したというためには、単に贈与契約がなされただけでは足りず、その契約の履行として、財産の引渡、対抗要件としての登記、登録等の備付、当該財産の利益の移転等実質的権利の移転がなされ、これらの事実が外観的に明白となったことが必要である。

(二) 原告が贈与の時期として主張する昭和三八年五月一五日は、本件贈与証書作成の時である。しかし、右時期には、贈与証書が作成されただけで、財産の現実の引渡や、登記等の対抗要件の具備は勿論、経済的利益の移転もなく、贈与があったとは到底いえない。すなわち、以下の各事実に照らすと、本件贈与証書は、ふくが、課税権の時効制度を利用して、租税負担を免れるために、真実は贈与の意思がないにもかかわらず、形式のみを整えるために作成されたものであって、真実これにより贈与がなされた訳ではないといわざるを得ない。

(1) 本件課税物件のうち、別紙物件目録5記載の土地は、本件贈与証書作成当時は太田容子(以下「容子」という。)の所有であったが、昭和四四年一二月一日、本件贈与証書でふくが原告に贈与すると表示されている堺市海山町三丁一五五番の土地と交換されている。右交換契約の当事者は、ふくと容子であり、かつ、ふくは、所得税の確定申告に当り、当該交換に係る旧租税特別措置法(昭和四四年法律第一五号による改正前のもの)三八条の九(事業用財産を交換した場合の譲渡所得金額の計算)の規定に基づく申告をしている。

(2) 本件課税物件のうち、別紙物件目録1ないし5記載の土地は、従前からいずれも昭和鋼管株式会社(以下「昭和鋼管」という。)の工場敷地として同社に賃貸されていたものであるが、その賃貸借契約においては、昭和五七年四月までは、ふくが賃貸人であり、その賃料も収受していた。そして、ふくから原告への所有権移転登記がなされた同月一九日付で、原告と昭和鋼管との間で新たな賃貸借契約が締結され、同年五月分以降の賃料は原告が収受している。なお、右の地代収入は、右時期を境として、その前はふくが、その後は原告が、各自、それぞれの不動産所得として、申告している。

(3) 本件課税物件のうち、別紙物件目録6記載の土地は、本件贈与証書に記載のある堺市三宝町五丁一〇二番地の土地五六七坪五合二勺(一八七六・〇九平方メートル)の一部であるが、右土地は、原告が贈与を受けたと主張する時点後の昭和四一年八月四日、同所二七八番一ないし四に文筆され、そのうち二七八番二ないし四は、ふくにより、同月二六日三宝工務株式会社に譲渡され、ふくが右譲渡による譲渡所得の申告を行っている。

(4) 本件贈与証書には、本件課税物件のほかに、株式会社南海精工所(以下「南海精工所」という。)の株式四〇〇〇株、昭和鋼管の株式二万三〇〇〇株及び銀行預金二二口(合計金額七〇五万円)を原告に贈与する旨の記載もあるが、これらについて、いずれも原告への名義変更手続はなされていない。そして、右各株式についての配当、処分等の状況は次のとおりである。

(イ) 南海精工所の株式については、本件贈与証書作成当時四〇〇〇株であったものが、その後、昭和五一年九月二一日までの間に合計八回の株式配当又は増資が行なわれたため、株式数は合計二万七〇〇〇株となっていたが、いずれもふく名義となっており、配当金もふくが受領していたところ、右株式は、ふくが、昭和五一年九月二一日に渡辺恵子らに売却し、その代金を受領している。

(ロ) 昭和鋼管の株式については、本件贈与証書作成後、三回の増資が行われているが、いずれもふくが自己名義で所有株式数に応じた新株引受金の払込を行っており、右株式のうち一部は、ふく名義のまま、別紙1、2記載のとおり譲渡されており、右譲渡後の残余の一万五七〇〇株については現在もふく名義のままであり、ふく名義の株式についての配当金はすべてふくが受領している。

(5) 原告は、本件贈与証書の作成当時、これに記載された受贈物件に対する贈与税の申告書を提出していない。

(6) 原告は、昭和四九年八月一六日、ふくとの間で、本件課税物件についてふくから原告に対する贈与を原因とする所有権移転登記手続を行う旨の即決和解を成立させ、その和解調書が作成されたが、右和解は、原告が弁護士から将来相続税がかからなくてすむとの助言を受けたために行ったものであり、この時点においても、本件贈与証書も和解調書もふくが所持していて、和解成立後も本件課税物件について直ちに所有権移転登記手続を行わなかった。

(7) 原告は、被告の調査に際し、「本件贈与証書の作成によって同証書記載の財産が自分のものになったという意識はなく、将来しかるべき時期に改めて二人で話合って、お互いに納得できる時点において、自分のものにする気持ちであった。」等、本件贈与証書に基づく贈与契約の存在を否定する趣旨の供述をしている。

3  重加算税賦課決定処分の適法性

以上の事実を総合すれば、本件贈与証書及び即決和解調書は、いずれも租税ほ脱の目的で作成された仮装の文書である。原告は、右事実を知悉し、本件贈与証書作成時の昭和三八年分について、贈与税の申告をなさず、かつ、本件の登記時である昭和五七年分について、贈与に関する法定申告期限前に行われた被告の申告に関する事情聴取の際には、右各文書を提示し、贈与により財産を取得した時期を本件贈与証書作成時であると偽って申立て、贈与税の申告をしなかった。右行為は、事実を仮装し、租税を回避した行為に当る。したがって、国税通則法六八条二項の規定に基づく重加算税の賦課決定処分も正当である。

四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1  被告の主張1の(一)のうち、被告の主張価額及びその算定根拠は争う。同1の(二)のうち、決定等処分額欄の金額による決定等処分がなされたことは認めるが、その余の主張は争う。

2  同2、3の主張は争う。なお、仮に、ふくが、本件贈与証書作成時に内心において、将来の贈与を意図していたとしても、原告は善意であるから、贈与の効力を左右しない(民法九三条本文)。

3  本件贈与証書は、租税ほ脱の目的で作成された仮装のものではなく、真実の贈与契約の実体を反映した真正なものである。その理由は、次のとおりである。

(一) 原告は、原告の父の姉であるふくから、ふくには子供がいないため、先祖供養、老後の心配、ふくの経営している昭和鋼管の後継者育成の必要等の理由から、同人の養子になるよう要請されていたが、昭和三八年五月一五日、ふくの養子となることを前提に、ふくから見せられた本件贈与証書に確認のため押印し、同年八月五日、ふくと養子縁組をした。原告は、ふくの要請で、同年六月末ころから、本件贈与証書に記載のある別紙物件目録7記載の建物に入居してふくと同居し、右建物の現実の引渡を受けた。原告は、右建物の一階に、ふくは二階にそれぞれ居住していたが、本件贈与証書及びそこに記載のある物件の権利証、預金通帳、株券、ふくの実印、その他すべての財産は、原告の住む一階の居間の庭側に面した板の間にある金庫に保管され、原告は、右金庫のダイヤル番号をふくから知らされていたのであるから、本件贈与証書に記載のあるすべての財産につき、現実の支配を取得していた。

(二) 不動産についての登記は、第三者に対する対抗要件にすぎず、贈与契約の成立要件ではない。原告が、ふくから贈与された財産のうち、不動産について所有権移転登記をするのが遅れたのは、それらの財産はふくとその亡夫とで築きあげてきたものであること、ふくの養女である容子の夫の太田潔が金銭的にルーズであったためにふくと度々争いを起こしたことから、常々、ふくから潔の様にはならないようにと聞かされていたこと、養子縁組に際し、原告は、その父から呉々も争いを起こさないようにと諭されていたが、ふくは激しい気性で、自分の気にいらないことは許さず、ワンマン的性格を有していることなどの理由から、原告としては、養子として円満にやっていくためには、ふくの気持ちを刺激しない様にすることが大事だと考えたことなどによるものである。原告は、昭和四九年ころ、野村弁護士に対して、最も適切な方法を相談したところ、同弁護士から、贈与税は時効にかかっているが、円満に養親子関係を維持していくためにはふくの気持も汲んで、登記だけは後にした方が良い旨の説明を受けたので、とりあえずふくとの間で即決和解をする手続をし、その後の昭和五七年二月ころ、ふくが八三歳で脳梗塞で倒れた機会に、ふくの同意を得て、同年四月一九日付で所有権移転登記をしたのである。

(三) 別紙物件目録5記載の土地と本件贈与証書に記載されている堺市海山町三丁一五五番の土地との交換契約の時期は、昭和四四年一二月二五日であり、契約当事者は、原告と容子である。容子は、夫の潔の負債整理のため、その所有の同所一五六番一の土地を債権者に代物弁済として譲渡する必要が生じたが、右土地は、隣接する同所一五五番の土地と一体としてでないとその用途が達成できない状況にあったので、この土地を右一五六番一の土地とともに代物弁済の目的に供するため、ふくを通して、原告に対し、容子所有の別紙物件目録5記載の土地と右一五五番の土地とを交換してほしい旨依頼してきた。そこで、原告は、容子がふくの養子であり、ふくからの指示でもあることから、ふくとの養親子関係を円満に維持していくために、これを承諾したのである。

(四) 原告は、別紙物件目録1ないし5記載の土地の賃料を、ふくが小遣いとして取得することに同意していた。

(五) 原告は、南海精工所及び昭和鋼管の株式の配当金や譲渡代金を、ふくが取得することを承諾し、ふくから、増資の際の新株払込金は、ふくが取得している前記の土地の資料から払込むようにするとの説明を受けている。

(六) 被告の調査に際してなされた原告の供述は、不答弁、検査の拒否等、原告が自分を守る手段を何一つ与えられていない状況下で、原告が脱税しているという先入観に基づいてなされた被告の偽計、詐称及び誘導質問に対してなされたものであり、任意性に疑いのあるものである。

五  原告の反論に対する認否及び被告の再反論

1  原告の反論はすべて争う。

2  被告の部下職員は、原告に事前に電話連絡の上、原告の希望により、昭和五八年五月二七日及び同年六月一〇日、原告の勤務先の昭和鋼管の事務所において原告と面接して調査を行い、その際、「質問てん末書」を作成してこれを原告に提示したところ、原告がその内容を確認のうえ署名・捺印をしたものであるから、原告の供述には任意性に疑問の余地は存しない。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二  本件の主たる争点は、ふくから原告への本件課税物件の贈与の時期が、原告主張の昭和三八年五月一五日(本件贈与証書作成時)であるのか、被告主張の昭和五七年四月一九日(所有権移転登記時)であるのかにあるので、以下、まずこの点につき検討する。

1  成立に争いのない甲第二号証の一ないし五、第三、第四号証、第五号証の一、二、第六号証の一ないし七、第七号証の一、第九、第一〇号証、乙第一、第四号証、第七ないし第九号証、第一四号賞の一ないし三、官公署作成部分の成立に争いがなく、その余の部分につき原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第七号証の二、第八号証の一、二、乙第二、第三、第五、第六、第一〇号証、原告本人尋問の結果(但し、後記信用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  ふく(明治三二年一月二三日生)は、昭和三三年に夫杉本幸三郎が死亡したのち、右幸三郎の設立した昭和鋼管の代表取締役をしていたものであるが、実子がなく、また養女として育て上げた容子とは、その夫太田潔の金銭面の問題などから不仲となっていたため、昭和三七年ころから、ふくの実弟天辻光次郎(以下「光次郎」という。)の三男である原告(昭和七年一〇月二一日生)に対し、光次郎を通じ、ふくの養子になって右会社の経営を継いでくれるよう要請していた。

(二)  原告は、昭和三八年一月二六日、妻育代と結婚したが(婚姻届出は同年五月七日)、かねてより父光次郎から、ふくが原告を昭和鋼管の役員として迎え、財産も全部原告に譲る意向であることを聞かされていたところ、さらに同年五月一五日ころ、原告の実家において、ふくから、ふくが作成し持参した同日付の公証人の確定日付のある本件贈与証書を見せられ、このころ、妻とともにふくの養子になることを決意し、ふくの要望に副って、同年六月末ころから、それまでふくが居住していた別紙物件目録7記載の建物に入居してふくと同居を始め、同年八月五日、ふくと養子縁組をした。本件贈与証書には、別紙物件目録1ないし4及び6、7の各不動産や、二社合計二万七〇〇〇株の株式、二二口合計七〇五万円の銀行預金につき、原告に贈与する旨の記載があるが、同証書に記載された財産は、そのほとんどがふくと亡夫幸三郎とで築きあげたもので、当時のふくの所有財産のすべてであるばかりか、ふく夫婦の養子である容子名義の不動産も含まれていた。

(三)  原告は、ふくと養子縁組後、昭和三八年八月三一日、昭和鋼管の経理担当の常務取締役に就任し、引き続き別紙物件目録7記載の建物でふくと同居(ふくは二階を、原告らの家族は一階を使用)していたが、本件贈与証書(一通のみ作成)及びそれに記載された各不動産の権利証(登記済証)、株券、実印は、すべてふくが保管、管理していて、原告が自由に取り扱えない状況であり、原告は、右贈与証書の保管場所も知らず、また、株券については、その実物を見たこともなかった。また、本件贈与証書に記載されている各預金の通帳、印鑑等は、前記建物の一階にある金庫(ふくが使用していたものであるが、養子縁組後二、三年程してから、原告らもふくと共同で使用するようになったもの)に保管されており、原告らが自由に使える状況であったが、原告は、右預金を引き出すについては、一々事前にふくに話し、その了解を得ていた。

(四)  本件贈与証書に記載のある堺市海山町三丁一五五番の土地は、東側が道路に面し、北側と西側が容子の所有する同所一五六番一の土地に隣接しているが、容子は、その夫である潔の負債整理のため、債権者であるゼネラル石油株式会社に対し、担保に供していた右一五六番一の土地を代物弁済として譲渡することとしたが、右土地は隣接する角地である一五五番の土地と一体としてでないと有効利用がはかれない状況であったので、一五五番の土地をも一五六番一の土地とともに代物弁済の目的に供するため、ふくに対し、容子所有の同所一五八番三の土地(別紙物件目録5記載の土地)と右一五五番の土地とを交換して欲しい旨の申入をした。そこで、ふくは、昭和四四年一二月一日ころ、容子との間で、右各土地の交換契約を締結し、同日付の土地交換契約書を作成し、この交換に伴う一五五番の土地の譲渡所得の申告も自ら行った。原告は、当時、ふくと容子が、右土地交換の話合いをしていることは知っていたが、その交換契約の締結及びそれに伴う税金の申告手続には全く関与していない。

(五)  別紙物件目録1ないし5記載の土地は、いずれも従前からふくが昭和鋼管に対し、その工場敷地として賃貸していたものであるが、本件贈与証書作成後の昭和四五年四月一日にも、ふくが貸主として昭和鋼管との間で賃貸借契約書を作成しており、賃料もふくが受領し続けていたもので、原告は、昭和鋼管に入社した当初からふくの右賃料受領の事実を知りながら、ふくに対し、特に異議を述べなかった。しかし、原告は、右各土地につき所有権移転登記を経由した昭和五七年四月一九日付で、昭和鋼管との間で新たに原告を貸主とする賃貸借契約書を作成し、以後、自ら賃料を取得するようになった。また、賃料収入の税務申告についても、同月以前はふくが、同年五月以降は原告が、それぞれ自己の所得として申告している。なお、本件課税物件については、いずれも、昭和五七年四月一九日、ふくから原告への所有権移転登記がなされており、それまでは、右物件に関する固定資産税、都市計画税の支払いはふくがなしていたが、それ以後は原告がこれを負担している。

(六)  本件贈与証書に記載のある堺市三宝町五丁一〇二番の土地(のちに同所二七八番に地番訂正)は、昭和四一年八月四日、同所二七八番一ないし四に文筆され、そのうち二七八番二ないし四は、同年八月から昭和四二年一二月にかけて、ふくによって三宝工務株式会社に売却されており、原告が昭和五七年四月一九日に所有権移転登記を受けたのは、その一部の同所二七八番一の土地(別紙物件目録7記載の建物の敷地である同目録6記載の土地)のみにすぎない。

(七)(1)  本件贈与証書に記載された株式のうち、南海精工所の株式は、同証書作成当時には四〇〇〇株であったものの、その後、昭和五一年九月二一日までの間に、増資等により三万一〇〇〇株に増えていたが、ふくは、昭和五一年九月二一日、南海精工所の申入に応じて、右株式のうち、四〇〇〇株については渡辺秀吉名義の昭和鋼管の株式二五〇〇株と交換し(なお、交換後の昭和鋼管の株式は、ふくの意思により、原告の三男の杉本幸治名義とされた。)、残りの二万七〇〇〇株については、渡辺恵子外七名に譲渡した。右株式が交換ないし譲渡されるまでの間、これに対する利益配当はふくが受領し、増資の際の株式払込金もふくが支払い、その他右株式の株主としての権利はすべてふくが行使していたが、原告は、ふく名義の南海精工所の株式が、本件贈与証書作成後増資等により二万七〇〇〇株も増加していたこと及びふくがこれを他に譲渡していたことをまったく知らなかった。

(2)  本件贈与証書に記載された株式のうち、昭和鋼管の株式については、別紙1、2記載のとおり、昭和四〇年一二月一〇日から昭和四九年六月二二日までの間に計七回にわたって、原告及びその妻子らに対し、名義書換がなされているが、その間に増資も三回行われ(その際、ふく名義の株式に割当てられる増資に係る新株の払込金についてはすべてふくが払込んでいる。)、現在においても、一万五七〇〇株についてはふく名義のままである。前記の名義書換は、いずれもふくの意思に基づいてなされたものであり、昭和四九年六月四日の六回目のものは、原告及びその妻子らに対するほか、昭和鋼管の従業員一三名に対し、会社への功労に対する報酬として贈与されたものである。また、ふく名義の株式については、いずれもふくが利益配当を受け、これを同人の所得として税務申告しており、その他の株主としての権利行使もすべてふくが行っていた。

(八)  原告は、昭和四九年に、ふくを相手方として、大阪簡易裁判所に対し、本件課税物件につき、昭和三八年五月一五日贈与を原因とする所有権移転登記手続をせよとの起訴前の和解を申立て、同年八月一六日、その旨の裁判上の和解が成立し、和解調書が作成されたが、右和解は、実質的に、ふくが野村清美弁護士と相談のうえ申立てることになったものであり、その申立書中には、申立人(原告)は、右移転登記手続を希望しているが、相手方(ふく)は公租公課の課税せられることをおそれて登記手続を経由しないとの記載があるが、当時、ふくと原告との間に、右移転登記手続をめぐって、紛争があったわけではなく、右和解は、もっぱら、ふくにおいて、将来、原告に、本件課税物件等の贈与に伴う贈与税が賦課されるのを防ごうとの考えからなしたものであり、原告も、その事情を察知して、右和解をなすに至ったものである。なお、本件課税物件の原告への所有権移転登記手続は、原告が、ふくに申入れてその承諾を得て、昭和五七年四月一九日、右和解調書により、原因を昭和三八年五月一五日贈与として行ったものであるが、それまでの間、右和解調書正本は、ふくが所持していた。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分はたやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、右認定は、ほぼ、原告の被告部下職員に対する昭和五八年五月二七日付及び同年六月一〇日付質問てん末書(前掲乙第八及び第九号証)中の供述に副うものであるところ、原告は、被告部下職員の質問調査に対する原告の供述は、不答弁、検査の拒否等、原告が自分を守る手段を何一つ与えられていない状況下で、原告が脱税しているという先入観に基づいてなされた被告の偽計、詐称及び誘導質問に対してなされたものであるから、任意性に疑いがある旨主張するが、右主張の事実を認めるに足りる証拠はない。かえって、前掲乙第八、第九号証、原告本人尋問の結果によれば、被告部下職員は、事前に日時、場所につき、原告の希望を聞いたうえ、原告の希望通りの日時(昭和五八年五月二七日午後一時ないし午後四時三〇分、同年六月一〇日午後一時ないし午後四時三三分)及び場所(原告の勤務する昭和鋼管の事務所)において質問調査を行っており、原告は、その際の応答の要領を記載した質問てん末書を通読して内容を十分確認したうえ、これに署名、押印していることが認められ、右事実に照らせば、原告の供述は任意になされたものと認められる。したがって、原告の右主張は理由がない。

2  以上の認定事実に基づいて、本件課税物件の贈与がなされた時期について検討する。

(一)  前記認定事実によれば、原告とふくが養子縁組するに際し、ふくは、原告の実父天辻光二郎を通じ、原告に対して、ふくの所有財産を全部譲る旨話しており、本件贈与証書の記載は、右ふくの話に照応するものであること、また右養子縁組の話は、ふくの方から原告側に持ちかけたものであり、いわばその交換条件として、養親たるふくの財産を養子となるべき原告に贈与するということは、あながち不自然ではなく、十分に考えられる事態であること、さらに本件贈与証書は、贈与契約の成立を証する書面として、その形式、体裁に欠けるところはないこと等を考慮すれば、原告主張のとおり、本件贈与証書が作成された昭和三八年五月一五日の時点で、本件課税物件(但し、のちに交換により取得された別紙物件目録5記載の土地を除く。)等は、贈与により、ふくから原告にその所有権が移転したとみるべきようにも思われる。

しかしながら、前記認定事実からすれば、本件贈与証書に記載された財産のうち、本件課税物件(前記土地を除く。)等の不動産については、右贈与証書作成後、昭和五七年まで、原告への所有権移転登記手続はなされていないのみならず、右贈与証書や、右各不動産の権利証等も、ふくが保管し続けていたものであり、少くとも昭和四九年の前記起訴前の和解までは、原告が、みずからの意思で、右登記手続をすることはできない状況であったこと、なお、右起訴前の和解についても、原告が、積極的に本件贈与証書記載の贈与契約の履行を求めるために申立てたというものではなく、もっぱらふくの側で、原告に贈与税が課されることを懸念し、右和解を申立てたふしが窺われるうえ、右和解調書正本も、本件課税物件についての所有権移転登記手続がなされるまで、ふくが所持していたこと、さらに、本件贈与証書に記載された各不動産の処分、管理状況等も、ふくは、みずからの意思で、その一部の土地を他の土地と交換しあるいは譲渡し、また昭和鋼管に賃貸している土地については、自己が賃貸人としてその賃料を受領し、右各不動産の公租公課も自分で支払うなど、自己の全面的支配下の財産として処理していること、が認められるのであり、これらの事実に、前記認定の、本件贈与証書に記載されている株券、銀行預金等の管理、処分状況等や、右証書作成当時、同証書に記載された財産は、当時のふくの全財産であるところ、当時、ふくと原告とは、伯母、甥の間柄にあるとはいえ、未だ養子縁組の届出前であり、現実に同居していたわけでもないこと、さらに、原告は、被告部下職員に対する昭和五八年六月一〇日付質問てん末書(乙第九号証)において、原告自身、本件贈与証書の作成により、同証書に記載された財産が自分のものになったという意識はなく、原告とふくとのこの点に関する話合いも、しかるべき時期がきたら、改めて二人で話合いのうえ、右贈与の件を決めるというものであった旨明確に供述していることをも総合考慮すれば、本件贈与証書作成当時、ふくに、同証書記載の不動産、動産等を、直ちにその時点で、原告に贈与し、その所有権を移転するまでの意思があったとは到底認め難いし、原告も、当時昭和鋼管の代表取締役として会社経営に当っていたふくが夫とともに築いてきた全財産を、ふくからその時点で贈与を受けてその所有権を取得するとの意思を有していなかったことは明らかであるから、同証書が当時作成されていたことから、原告、ふく間の贈与契約の成立を認定することはできず、他に、そのころ、右贈与契約が成立したことを認めるに足る証拠はない。

(二)  なお、原告は、本件贈与証書に記載された各不動産の権利証、ふくの実印、株券、預金通帳、預金の届出印等は、原告らの使用する部屋の金庫中にあり、原告は右金庫を自由に開けることができたから、それらにつき現実の支配を取得していた旨主張するが、前掲乙第八、第九号証に照らせば、右預金通帳と、その届出印以外は、右金庫に保管されていたか否かは疑問であるうえ、たとえ保管されていたとしても、預金も原告がその一存で使用していたわけではなく、まして不動産の権利証や株券を原告が、みずからの意思で、自由に使用し、あるいは処分できる状況にあったとは到底認め難いから、右各物件を、原告が現実に支配していたといえないことは明らかである。

(三)  前記認定事実によると、本件贈与証書作成当時、ふくとしては、原告及びその妻がふくの養子となり、ふくと同居してその日常生活の世話をし、老後の面倒をみ、昭和鋼管の経営を助けてくれるならば、いずれ、ふくが適当と認めた時期に改めてその所有財産を原告に贈与する意思であり、ただ、原告を養子として迎えるに先立ち、いずれは自己の全財産を原告に譲ってもよいとの気持を具体的な形で表わすとともに、証書の作成によって、原告に、将来、自己の財産を贈与あるいは相続させることに伴う紛争(その中には税金の問題もあったと考えられる。)を未然に防ごうという意味合いもあって、本件贈与証書の作成に至ったものと推認され、また、前記(一)に述べたところからすれば、右のような本件贈与証書作成の経緯、目的は、原告においても、同証書作成当時、十分認識していたものと認められる。

したがって、この点に関し、原告が善意であったことを理由として、同証書の作成により、贈与の効力が生じた旨の原告の主張は理由がない。

(四)  以上の次第で、本件課税物件についてのふくから原告への贈与は、原告が、ふくの承諾を得て、右物件についての所有権移転登記を行った昭和五七年四月一九日と認めるのが相当であり、これを前提としてなされた本件の贈与税決定処分は正当である。

三  本件課税物件の価額について

1  贈与税の課税価額は、受贈者が贈与により取得した財産の価額すなわち、当該財産の取得の時における時価(相続税法二二条)であるところ、その具体的算定根拠については、評価通達に、各種財産ごとの評価方法が定められ、これによれば、市街地的形態を形成する地域にある宅地については、路線価方式によるものとされ、宅地の面する路線に付された路線価を基準として評価されることになっており、右評価方法は、右のような宅地の時価の算定方法として、合理的なものと認められる。

2  成立に争いのない乙第一二、第一三号証及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告がふくから贈与を受けた別紙物件目録1ないし6記載の土地は、いずれも市街地的形態を形成する地域にある宅地であり、その路線価は、別紙路線価図記載のとおりであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右路線価を基準にして、評価通達に定める評価方式に従って計算すると、別紙物件目録1ないし6記載の物件の価額は、別表「贈与価額の計算」記載のとおり、合計二億七八五万九四二〇円となる。

3  評価通達によれば、建物については、固定資産税評価額に倍率(一・〇倍)を乗じて評価するものとされている(評価通達八八、別表一耕作権割合一欄表)ところ、右評価方法は、建物の時価の算定方法として、合理性を有すると認められる。

弁論の全趣旨によれば、別紙物件目録7記載の建物の贈与時である昭和五七年における固定資産税評価額は、一三一万三一三九円であることが認められる。

4  したがって、本件課税物件についての贈与税の課税価格は、右2と3の合計の二億九一七万二五五九円と認めるのが相当であり、右評価額の範囲内でなされた本件の贈与税決定処分は、適法というべきである。

四  次に、本件の重加算税賦課決定処分の適法性について検討する。

1  国税通則法六八条二項の重加算税の賦課決定処分は、納税者が、課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい又は仮装し、その隠ぺい又は仮装したところに基づき納税申告書を提出しなかった場合に課されるものである。

2  前掲乙第一、第八号証および原告本人尋問の結果によれば、被告が原告に対し、本件課税物件に対する贈与税について、「贈与税の申告についての御案内」と題する書面を送付したところ、原告は、昭和五八年二月九日、堺税務署を訪れ、被告の部下職員に対し、本件贈与証書及び本件和解調書を提示したうえ、本件課税物件の贈与を受けたのは昭和三八年五月一五日であるから、贈与税については、すでに時効が成立している旨主張し、結局、法定申告期限までに贈与税の申告書を提出しなかったことが認められる。そして、前記二の2の(一)及び(三)に判示したところからすれば、本件贈与証書作成当時、原告が、同証書の作成により、本件課税物件(但し、別紙物件目録5記載の土地を除く。)等の同証書記載の不動産、動産等を、現実に贈与により取得したと認識していたとは認め難く、むしろ、原告としては、いずれ時期をみて、ふくと話合いのうえ、正式に贈与を受けるという気持であったと認められ、また、その後の起訴前の和解の申立の経緯、動機、和解後の状況等も、前記二の1の(八)認定のとおりであって、その申立理由となったような紛争が、原告とふくとの間に現実に存したわけではないうえ、成立した和解条項も直ちに履行することを予定したものではなく(ふくの原告に対する登記義務の履行を目的とするなら直接登記申請手続を行えばよく、わざわざ紛争もない当事者間で和解調書を作成する必要はないと考えられる。)、右和解は、ふくにおいて、将来の本件課税物件の贈与に伴い、原告に贈与税が課されることを懸念し、これに備えるため、申立てたふしが窺われ、かつそのような事情は、当時、原告もこれを察知していたとみられるのであり、これらの諸事実に照らせば、原告の被告部下職員らに対する前記のような言動は、結局、本件課税物件についての贈与税賦課の計算の基礎となるべき、贈与の時期に関する事実を隠ぺい又は仮装し、その隠ぺいし又は仮装したところに基づいて納税申告書を提出しなかった行為に該当するものと認められるから、本件の重加算税賦課決定処分には何ら違法な点は存しない。

五  よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山本矩夫 裁判官 及川憲夫 裁判官 村岡寛)

物件目録

1 堺市海山町三丁一五七番一

宅地 一一〇〇・八二平方メートル

2 同所 一五七番二

宅地 九四五・四五平方メートル

3 同所 一五七番三

宅地 九九一・七三平方メートル

4 同所 一五八番二

宅地 一八〇六・五七平方メートル

5 同所 一五八番三

宅地 七一九・〇六平方メートル

6 堺市三宝町五丁二七八番一

宅地 九六二・三三平方メートル

7 同所 二七八番地

家屋番号三〇番

木造瓦葺二階建居宅

床面積一階 一一二・八五平方メートル

二階 五一・五七平方メートル

附属建物 木造瓦葺平屋建物置

床面積 六・三八平方メートル

別紙 路線価図

〈省略〉

贈与価額の計算

別表 〈1〉 堺市海山町3丁157-1,同157-2及び同157-3の土地(宅地)の評価

〈省略〉

別表 〈2〉 堺市海山町3丁158-2の土地(宅地)の評価

〈省略〉

別表 〈3〉 堺市海山町3丁158-3の土地(宅地)の評価

〈省略〉

別表 〈4〉 堺市海山町3丁157-1,同157-2,同157-3,同158-2及び同158-3の貸地の評価

〈省略〉

別表 〈5〉 堺市三宝町5丁278-1の土地(宅地)の評価

〈省略〉

別紙1

杉本ふくの昭和鋼管(株)の株式の異動状況

〈省略〉

別紙2

杉本ふくから名義を書換えされた昭和鋼管(株)の株式

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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